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東大寺 「置き去りにされた墨壷」 

明治12年(1879年)、奈良・東大寺南大門が修復された折、その梁の上で墨壷が見つかった。人は、名も無き宮大工が忘れていったのだろうと想像した。だが墨壷は大工道具の中でも要の物として命同様大切に扱われてきた。よって、そう簡単に忘れる物ではないという。また元来墨壺は予め材木の加工において使われる物である。

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おそらく棟梁が一世一代のこの仕事が最後のものと決め、その証として自分の代わりにこの門を守り続けて欲しいと願いを込め、わざと人知れずに置いてきたのではないか。歴史に残る仕事をしたという誇りの表れだったのではないだろうか。

そしていつの頃からか、「置き去りにされた(忘れ物の)墨壷」と呼ばれるようになった。

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その棟梁の粋で潔い、志の高い想いと夢が、今も時を越えて東大寺を訪れる修学旅行生たちの心を打つ。しばし佇み南大門を見上げる人々の姿は、あたかも粛然とした、時の宮大工や仏師だろうか。宇宙・天上に吸い込まれるかのように悠久に想いを馳せる。

その真実を知る者は、本人。
そして、両側に立ちはだかる金剛力士像・阿形と吽形だけかも知れません。


高さ25mの南大門に立つ、怒りの形相の金剛力士像は8.4mもあり最大のものとされている。向かって左に阿形、右に吽形の安置は、通常とは左右逆というのにはじまり、話題には事欠かない。

そして最近まで、阿形は運慶、吽形は快慶の作とされてきた。

「阿形と吽形」

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だが、平成の大がかりな解体修理で像内から多くの新資料が見つかり、運慶や快慶をはじめ、定覚、湛慶合わせて4人の大仏師が、十数人の仏師を率いて1203年の秋に、わずか70日ほどで作り上げたことが判っている。

先ほど、「真実を知る者は、本人と金剛力士像だけかも知れない」と書いた。

だが、南大門は先の1199年に建てられたものである。よって、その後幾度か行われた修理の際に置き去りにされた物であれば適切であるが、当初からの墨壺であるなら、たとえ阿吽の呼吸を以ってしても金剛力士像は知る由もない。

[ 2006/04 ] チョットいい話 | コメント(-)








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