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「あじさい寺」♪キラキラ 

今年もやってきた、紫陽花寺。

Roku 2567

みずみずしくも
深奥幽玄なる世界。

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「われ、かく荒行せり」 山田龍真 

「臨!兵!闘!者!皆!陳!烈!在!前!」
りん、ぴょう、とう、しゃ、かい、じん、れつ、ざい、ぜん!

気合と共に、虚空に右手刀で九字が切られる。その瞬間、まわりの空気はサーッと動き出し一変すると云う。
「九字切り」とは、中国より密教・真言、天台宗をはじめ、陰陽道、修験道に伝わる主に護身の為に発する呪文である。「臨める兵、闘う者、皆 陣列をくんで前に在り!」を意味し、文献に於いては中国道教の古典に由来する。

山田龍真

山田龍真 「われ、かく荒行せり」を読んだ。まさに「壮絶」の一言に尽きる。

「千日回峰行」とは、比叡山に於けるそれとばかり思っていたが、九州は福岡にある「求菩提山・くぼて」にも平安の時代から伝わる究極の荒行がある。ただし、明治の林光坊僧正を最後に禁止令が出され近年まで途絶えていた。

それは、百十六年ぶりに山田龍真師によって甦った。

 「回峰行のこころ」 葉上照澄 

千年昔、伝教大師・最澄上人の弟子である慈覚大師・円仁上人、そしてその次の代に相応和尚という方がおられた。

そのいにしえより、比叡の山に連綿と続く荒行がある。不眠不臥・断食断水の期間を含め,七年千日にわたり比叡全山の諸仏を巡拝する「千日回峰行」である。

先日、延暦寺の大乗院住職・星野圓道師が戦後12人目の「堂入り」を達成したことが話題になった。

出版されている自ら書かれた「回峰行」の話はほとんど読んでみたが、先日図書館で未読の書が目に留まった。
葉上照澄 「回峰行のこころ~わが道心」である。経歴を見て驚いた。東大でドイツ哲学を専攻し卒業後、新聞社の論説委員を経て50歳の時に「大阿闍梨」になられた方である。(1903~1989)

読後、得も言われぬ満足感に浸ることが出来ました。美しい筆致で書かれ、全編エッセイ(随筆)の如く流れていくような感覚でした。

その一部を引用してみたいと思います。

葉上照澄

 もしそれ六月中旬、満山緑に包まれ、横川を越して、やっと東方がほの明るくなった頃。左方琵琶湖が光り、行者のみの小道に、必ず右側、すなわち道の方に向って首を垂れている山百合の群落を見るとき、それをけちらしながら進んでいるとき、その真っ白の色といい、この世ながらの浄土・寂光土という感がする。
下を望めば、村はまだ睡りに落ちており、我ひとり天地の間に溶け込んだようで、ほんとに楽しい。こればかりは、ぜひ一度味わってもらいたいと思う。(ムリ・・・)

 美というものが調和であるとしたならば、そして「動く美」 「働く美しさ」 を考えるとき、すなわち回峰行こそ、真の意味の高い美しさに溢れている思う。いわんや、その内面的ゆかしさ、楽しさにおいてをや。かくして真の宗教的聖なる美に、かたちづけられたものと言えよう。









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